目に見えない微生物のちから
自ら醸造に携わるようになって、たびたび驚嘆するような体験をしています。目に見えず、もの言わず、か弱くみえていた微生物が、ふとした瞬間に爆発的な力を見せつけるのです。しんと静まった蔵のひと部屋で、ほんの十数分前までは、自分の手には冷んやりとしていた、お米に生えた麹菌(こうじきん)が、あっという間にこちらの体温をこえるほどの熱を帯び、目で分かるまでに姿を変え、匂いをも変えていきます。水、米、麹それに酵母などの微生物が一緒になった醪(もろみ)では、大きな発酵桶の底の方から泡とともに米が沸きあがり、桶の中全体にぐるんぐるん、ものすごい速さの流れが生まれます。最初はほんのひとつまみだったはずの微生物が、1トンをこえる量のお米の姿かたちを、あれよあれよと変えていきます。耳には無音ですがそこでは、轟音が身体の内側まで押しよせる感覚があります。その迫力に圧倒され、ひとたび発酵が本格化すれば、さほど人が介入できる余地はないと悟ります。また、こうとも。発酵を成功に導くには、微生物の力を伸ばすに勝るものはない、「こう自分がつくるのだ」というような人の意図は、むしろない方がいい。ただし、微生物の振る舞うままにしておけば、いつも都合のよい成果があるのかといわれれば、そうでもないようです。微生物に思考があるのかは知りませんが、こちらが無関心でいると、彼らはどこに向かっていくか分かりません。一瞬一瞬、いつも正直に全力で、その加減をすることを知らないようです。発酵の場において、あくまで主役は麹菌や乳酸菌、酵母などの微生物です。ただやはり人が寄り添っていないと、人にとってのおいしいものは生じないようです。そこで数十日にわたる発酵のあいだ、水や温度を介して微生物たちと会話します。その際は調和や慈しみの心もちでいます。こちらの観念を押しつけるのでなく、様子を察知し、流れの向きや速さを揃えていく感じでしょうか。物を作っている気持ちはありません。育てるのとも違う。一体になるとも言えませんが、随伴して呼吸を合わせながら、生命の営みという流れに、ただ触れ続けます。日々植物らと向き合う農家さんの気持ちは、どのようなものでしょうか。お酒も「なりもの」のように思います。
二つのおいしい
私たちの「おいしい」には味覚的に美味しいこと、心身(の健康)に好ましいこと、があります。都錦酒造はまず、心身に好ましいことを優先したいと思います。(くれぐれも適量をこえるアルコールの摂取は心身に有害ですし、個人の体質によっては、わずかでも有害です。)都市化された現代の生活では、自然は環境として、私たちの「外側」と認識されがちです。けれども、実際は人の身体も自然の一部であり、人は自然とつながっています。多くの人は自らの健康を願いますが、環境自然にやさしいことが、自分たちの心身にやさしくすることにつながるのではないでしょうか。地球や人体に負荷をかけないような環境保全型農業で育った植物(この場で「健全な実り」とします)を摂取することが、心身により好ましいと思います。また、それは発酵に携わる微生物にとっても同様でしょう。いえ、からだの小さな小さな微生物だからこそ、より大切なことのはずです。微生物に味覚があるのかは知りません。けれども、やはり「健全な実り」こそが、繊細な微生物がより喜ぶ実りであるような気がします。健全な実りを食べる微生物は、きっと素直に健やかに育つ。すると発酵の力もより発揮され、なんだか「濃い」成分のお酒ができそうな気がしませんか?それは、めぐり還って味覚的にも美味しいように思います。ですから都錦酒造では、環境保全型農業による特別栽培米を優先して用います。
心指し
自然の活力は、全てのいのちに活力を与えてくれます。都錦酒造は、活力に満ちた自然の恵み・実りを、発酵という自然の流れを通じて、あらたな「おいしさ」や「うるおい」に変換して、皆さまの食卓にご提供します。また、農家の皆さま、特に環境保全型農業に携わる皆さまに対して、深く共感し、日本の農業や田舎の営みの継続を応援します。
プロダクト(清酒)
ナチュラルでシンプル、米原料100%のお酒のみ。原則的にブレンドや炭素ろ過などの調合・調整をせずに、都度の発酵の有りようが、包み隠さずそのまま封じられています。同じ産地や品種、精米歩合のお米、かつ同じ親きょうだいの微生物から生じたお酒であっても、雰囲気や口当たりなどが少しずつ異なります。風味は未完成さを感じさせるものであるかも知れませんが、発酵の醍醐味が飲む人に伝わることこそ、大切にされています。かすかなノイズや揺らぎも、味わいであり、風味での表現をこえた感動の要素です。
パッケージデザイン
純米酒「農酵酒(のうこうしゅ)」と純米料理酒「御厨(みくり)」のエチケット(ラベル)にみえる玉状の模様は、発酵現象のしるしである泡(炭酸ガス)、発酵の主役である酵母、あるいは発酵の源であるお米のイメージと重ねてデザインされています。「農酵酒」エチケットの、もこっとした風合いや手ざわりは、米麹(こめこうじ、もう一方の発酵の主役である麹菌がお米の中や周りに育ったもの)に通じています。正円ではなく玉の一つ一つが揺らいでいるのは、発酵中の醪や米麹が、一瞬たりとも同じ姿にとどまらずに、変化をし続けている様子をあらわしています。
文 森脇貞博・都錦酒造創業家